

やっぱり海好きというのは
八雲から遺伝したものですか?
犬吠埼の画を何枚も描いているようですね。


そうですね。
房総半島でスケッチをして作品にしたものが結構多いと思います。
どうでしょう。
でも、水辺の景色って、八雲もそうですが、
自分達もそうかもしれませんが、
意識しないけれども原風景として頭の中に残っているもの。清の頭の中にもそういう感覚で残っていたかもしれないな。
と、推測ですが思ってます。

人間のね
魂のふるさとみたいなところですもんね。
普遍的な魂の感覚なのかもしれないですね。
八雲は皆さんご存知のように、アイルランドのトラモアの冷たい海で泳ぎを覚えて以来、海に関わってきた人でした。
海が近くにないと安心できないんですね。
でもヨーロッパからアメリカに行き内陸に住んでいたから、
しばらく海から離れていた。
15年間海から離れていて、15年ぶりにメキシコ湾を泳いだ時に、
手紙で友達に書き送っていますけども。
「もう、このまま自分は海と一緒にずっーと流れていきたい」
と、そんなことを言っている人でした。
山陰の海を愛し、最期は、焼津の海、駿河湾で存分に遊泳を楽しみました。
海の仕事に携わる点では、
私の父(八雲の長男一雄の長男の)も海が好きで船乗りになりたくて、結局船乗りの仕事を長くしてたんです。
あの純さんもそうですよね。

偶然ですけど、うちもそうです。
商船学校と言いましたけども、
戦時中に今の神戸商船大学に、国策ですよね。
お金がなかったので国費で入れる学校に、ということで、神戸商船大学に入って。
戦時中は、輸送船に乗ったりし、戦後は川崎汽船に機関士として勤めていていました。
清(祖父)の自殺騒ぎ等があり、
私の母が父(純)に船を降りてくれと言ってそれをやめて、普通のサラリーマンにその後なりました。

全く一緒。
今、純さんのことを初めて聞いて。
うちもそうでした。
三井船舶というところに勤めていて、
戦争中に時々軍用船に乗せられて遠洋航海にいって
マリアナ海溝という世界で一番深い海で魚雷攻撃をされちゃって撃沈されちゃったんですね。
けがをしたんだけども、海に放り出されて、ずっと浮いていた。
そしたら向こうから水雷船のサギという船がきて、鷺なんです、うちの家紋の。
そのサギに助けられて九死に一生をえたというそういうエピソードもあったりします。
それで、帰ってきてから、
キクエがね、「頼むから降りてくれ、丘の仕事してくれ」と
それで、頼んで、父は船に乗ってるほうが良くって。
ずっと乗っていたかったようですが、泣く泣く、陸上で仕事することになったんです。その辺も、一緒ですね。

初めて聞きますけど、共通点が多いですね。
こういう打ち合わせは何にもしてないのに。
家の父も、場所は定かではないですけど、
攻撃されて撃沈したということを2回経験してまして。
それで、板切れにつかまって救助がくるのを待っていて、
周囲にも沢山そういう救助を待っている人がいて。
「お母さん」、奥さんの名前、
子どもの名前を呼んでそういう力尽きてしまった人達もいるし、
運良く救助が間に合うケースもあるんだけども、
それで、その時のことを清からうちの父(純)に聞かれたことがあって
『お前は何て言ったんだ?』と言ったら「恥ずかしいから黙ってた」って、
そんなキャラクターの父でありました。
よくね、命からがらの状況でと思いました。
自分だったら、何か叫ぶだろうな。良く黙ってたよな、と思います。

うちの父はね、その時にサメがきたらしいんですよ。
海に浮かんでいる時に。
投げ出されて、みんな周りの人が「うわー!サメだー」
って言って恐怖の叫び声をあげたらしいです。
でも、よく見たらジンベイザメだったらしいです。大きな。
「これは人は食わないから大丈夫だ」ってなんか父が叫んだらしいです。
まあ、そんなことを聞かされたことがあります。
なんか頼りなさそうな父だったんですけども、
いざとなったら肝が据わっているところもあったんだなと。
達矢さんは?泳ぎはどうでしたか?

泳ぎは、25メートルがせいぜい。
とてもハーンのように、八重洲の荒波の中に身を乗り出してずっと泳いでいるということは、、、多分沈んでしまいますよ。

僕なんかもっとひどいです。
おそらく、25mプールの短いほうだったらなんとかいけるけども、断然ダメですね。。。ひ孫の代になると。


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