社会での価値観と現代に見合った対策がなされない中で、子育ての困難が生まれている。日本だけではない。
一部の宗教観念が、一夫多妻制による家庭による子育てを理想としたビジョン。これは日頃より刷り込まれできている概念に過ぎない。現代社会で、子育てが核家庭でおこなわれることの通年化である。
人間はもともと小さなコミュニティの中で生まれ育まれてきた。
歴史をみてもそうである。原始時代から江戸時代まで、赤子が生まれれば祖父母・兄弟・伯父叔母など社会全体で育てていくことが常であった。
子どもが育つうえではっきりしていること。
それは、目的や企みが一切ない状況下で社会全体で育むという概念がないに等しい昨今、子育ては崖っぷちにきている。
少子化が進む一方で、どのような少子化対策も有効に働いていない。
そこには、指し示す物差しが無茶苦茶だからなのと複雑な社会規範が大きく影響している。
子どもを育むうえで、社会の構造は大きく影響してくる。
歴史をみても、
村社会では社会全体が目的や企みのない子育てを行っていた。
数世代が共に生活する大家族では、祖父母・兄弟・伯父叔母と子育てする大人の手が多数あり母親の負担が少ない。
一方、現代が抱えている核家族化での子育ては苦しいものである。
子育てに必要な様々な手が、全く足りていないのである。
子どもが育つのに必要な社会的無作為の温かい手のある環境が母親にとって子育てしやすい環境といえる。現代において善意の子育て支援を求めるには、絶えずお金がかかる。
その為、子どもを預かる幼稚園・保育園・小中学校にあたっても義務教育化や保育料無償化・高等学校無償化が図られている。
しかしながら、人ととの関り方が社会を反映し、何かの企みが発生している。利害関係がある中でたえず策を練っていたり、平気で人を欺く関係が無双している。
その結果として、子育てがしにくく、人口減少・少子化に加速傾向であるといえる。
そのような社会の中では、とても子どもを産んで育てるということが難しい。あらゆる子どもを受け入れ社会で育む制度には、あらゆる企みや利益が生まれることを阻止しなければならない。
また、子育てしていく中で沢山の愛情を育むのであれば数世代家族を自身が取り入れるしかないであろう。社会での仕組みを充実させるよりも合理的である。
核家族では、ワンオペやシングルマザー、障害児育児、許容の少ない社会と問題は限りない。歴史上、伯父叔母、兄弟、祖父母で面倒をみていた子育ての手が現在はたった一人になってしまった。その為、子育てが行き詰まることは目に見えている。
子育てで一番危惧するのは、うつ病である。シングルでも夫婦でも、子育ての担い手は限られてくる。
しかし、子育てでの分配を間違えてしまうと大きく背負い過ぎてしまう。家庭教育、子どもの資質、親の収入、協力者の有無、学校などでのつまづきと孤立、様々な協力が得られない中での1人の子育ての辛さが、孤立を深めてしまう。孤立を深めることは、現代とても危ういことである。
孤立することは、子育ての手がなくなることであり生命の維持に直結するほどのことである。
皆の子育てにこの記事が少しでも役に立つことを祈ります。次回は、現状の子育てについて取り上げていきます。
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