出光佐三の生き方、ホルムズ海峡、「日章丸」出光の船が繋いだ日本とイランの深い友情~その3~

テレビ番組

前回は、佐三氏が海上で割高な灯油などが主流でしたが、日本石油の倉庫で眠っていた軽油を安く漁船に販売し、門司の漁船の7割は出光が独占するまでになっていました。

門司ならば、下関まできて軽油を売るなと同業者たちから詰め寄られました。

しかし、親会社の日本石油などから批判され

「海に境界線はあるのか?」

「倉庫に眠っていた軽油を売ってやったんだ、むしろ褒めてもらいたいもんだ、燃料費が安ければ涼氏の売上もあがり、消費者は安い魚が手に入る」

 

と堂々と言う佐三に相手は何も言い返せませんでした。

弟、ひろしと協力して、海上でも軽油を正確に測れる機械を開発しました。
この機械の特許をとっていれば今は莫大な利益がでていたことだが、佐三はそのようなことに興味はないのでした。

門司の事務所が手狭になり
下関に倉庫をかまえます。その際、長屋で済んでいた父母と幼い弟を呼び寄せています。
一度目の結婚をします。資産家の娘、国岡ユキです。
佐三を陰で支えていましたが、子どもができず佐三が出張している間に親族から追い出されるかたちで離縁します。佐三は、そのことで親族にとても怒っています。のちに、佐三の前に早くに亡くなったユキの親族が現れ、ユキが離縁してからもずっと佐三の活躍をスクラップブックにまとめていました。それを見せられた佐三は、改めて後悔していたと語られています。

この時代に、子どもができないからと離婚を切り出されることはよくあったようです。

順調に売り上げを伸ばしたところまでを書きました。
今回は、戦時中から戦後とその復興のなかでの出光興行の発展を書きます。

大正中期 満州に進出した日本は、満州鉄道を建設します。その際にマイナス40度まで下がる気温になります。その際、列車の車軸油が凍結し、貨車の事故が多発していました。
満鉄は、外国製の高価な油を使っていましたが、それでも凍結は防げません。

 

「日本の技術で、満州の寒さに耐えられる油を作る」

佐三は、単身、満州に渡り自らが開発した「2号冬候車軸油」の試験導入を提案します。

 

「どこの馬の骨とも知れぬ商人の油など使えるか」

門前払いを受けます。

佐三は、トップへの直談判を繰り返し実地試験のチャンスをもぎとります。

結果は歴然です。欧米の高価な油が凍りつくなか、出光の油だけは滑らかに車軸をまわし続けました。

この試験結果から、出光商会は満鉄から納入権を得ました。

飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を遂げる出光商会。

大正13年 突如として街に不穏な噂が流れます。出光佐三が自殺したらしい。
順調だった出光商会でしたが、メインバンクであった第一銀行からの通達が原因でした。
第一次世界大戦の反動不況に加え、前年度の関東大震災の影響で金融不安から銀行が「貸しはがし」にかかりました。「借入金25万円の即時返済」を言い渡してきました。

現在の価値で、数十億円規模。

「黒字経営の会社から、いきなり資金を引き揚げるというのか。雨が降りだした途端に傘を取り上げるような真似をするな!!」

佐三は必至に講義しましたが、銀行側は聞く耳をもちません。期限までに返済しなければ倒産です。

 

手元にそんな資金がありません。万策つきた佐三は精神的に追い込まれ本気で死を考える程憔悴しきっていました。
その為、自殺説が流れました。

そんな絶望の淵で佐三を救ったのは、またしても「人」でした。

地方銀行の、二十三銀行(大分銀行)の門司支店長の林清治氏です。林氏は第一銀行のあまりにも理不尽なやり方に義憤を覚え、本店とかけあいました。

「出光という男をこんなところで死なせてはいかん。彼は将来、必ず国のために役立つ男だ。」

林氏は自らの銀行員生命をかけて本店を説得し、25万円全額の肩代わり融資を決断しました。
通常、一支店長にできる判断ではありません。まさに、奇跡の救済劇でした。

九死に一生を得た佐三は、男泣きしました。

独立時の日田重太郎氏、林清治氏とまたしても人の情けによって救われました。

「やはり商売は金ではない。人だ。信頼だ。」
「自分は多くの人に生かされている。だからこそ、自分も人を大切にしなければならない。」

この想いが、後の、大家族主義や「クビきりなし」という出光独自の信念を鋼のような強さへと変えていきました。

 

昭和に入り、日本は戦争への道を突き進んでいきます。

石油は軍需物資として統制され、自由な商売は制限されていきました。
佐三は国家による統制に反対し

「国策会社などいらない。民間の力でやれる。」

そう主張し続けました。しかし、時代の流れには抗えません。
やがて、戦争が終わります。

 

日本は敗れ、佐三が30年以上かけてきた海外の資産、支店、販路、その全てが一瞬にして消滅しました。

残ったのは、莫大な借金と国内外から引き揚げてくる約1000人の従業員だけです。
会社は事実状の倒産状態です。
多くの企業が敗戦後、人員整理を断行しました。

社長!!もう無理です。従業員を減らしましょう。

60歳を迎えていた佐三は、全社員を集めて

「愚痴をやめよ!!日本の3000年の歴史を見直せ!そして、今から建設にかかれ!!

私は1人のクビも切らない。社員は家族だ。家が貧しくなったからといって、家族を追い出す父親がどこにいるか。」

佐三は、日田重太郎との約束を守り抜きました。

皆で働いて、皆で生き残るんだ!!

とはいえ売るべき石油はありません。

 

まとめ

 

いかがでしたか?
信念と責任、パイオニアとしてのリーダーシップ。このような強烈でカリスマ的な人物が出光佐三氏だったんですね。
素晴らしかったです。

次回も出光佐三氏がいかに日本に貢献されたかを綴っていこうと思います。お楽しみに。