出光佐三氏が戦後、従業員を誰一人としてクビを切らずに歩み抜いた功績を綴ります。
生きるために、佐三は何でもしました。
ラジオの修理、農業、漁業
醤油の販売、出版業
かつて海外で支店長を務めていた、エリート社員達がリヤカーをひき行商をします。
石油の出光の影も形もありません。
社員達は佐三の「人間尊重」の想いに応え、誰も辞めようとはしませんでした。
そんな中、誰もが嫌がる仕事が舞い込みます。
タンクの中は、強烈なガスが充満。一歩間違えば死を覚悟しなければならないものです。
ドロドロの油をバケツリレーで汲みだす手作業でした。
同業他社が全て断ったこの仕事を佐三は引き受けました。

「これが日本復興のために、必要な油になるなら、我々がやる。」
作業は壮絶でした。ガスマスクが不十分な中、社員達はパンツ一丁になりタンクの中に飛び込み泥まみれ、油まみれになり作業を続けました。皮膚はただれ、強烈な悪臭が体に染みついて離れませんでした。
そんな、社員達は、「士魂商才」を胸に黙々と作業を続けました。
ある日、この作業現場を視察にきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の将校が涙を流して感動したといいます。

「日本人は戦争に負けたが、精神だけは負けていない。こんな過酷な仕事を規律正しくやり遂げるとは。」
このタンクボトム回収の功績が認められ、出光興産は再び石油販売業者の指定をうけます。どん底から這い上がった「海賊たち」が再び海へと漕ぎ出す切符を手にした瞬間でした。
その後、日章丸事件がおこります。
アメリカやイギリスを主体とする、巨大資本「セブン・シスターズ(国際石油メジャー)」に支配されていました。

「このままでは、日本経済は永遠に立ち直れない。日本独自のルートで安い石油を輸入しなければ」
佐三はそう考え、壮大な計画を練り始めました。
そこでイランがイギリスのアングロ・イラニアン社に立ち向かったことで、窮地に追い込まれていました。佐三がそれを知り、既得権益をかさにイランを窮地に追いやっている事実に酷く憤ります。そこで、先に述べた「日章丸事件」が起こりました。

「イランも苦しんでいる。日本も苦しんでいる。二つの国を救う道は1つ。我々がイランの石油を買いに行くことだ」

「これは、商売ではない。戦争に負けて自信を失った日本人に、勇気を取り戻させる闘いだ」
行先は、サウジアラビアと偽装されていました。
船長の新田辰男にだけ手渡された佐三からの命令書には

世界中が見捨てた我々を、日本だけが見捨てなかった。

「日本の小さな石油会社が、大英帝国に勝った」
日本国内は熱狂に包まれました。
敗戦のコンプレックスに沈んでいた国民にとって、日章丸の快挙は何よりの希望の光となったのです。
正しいことを貫き通すことは、日本の復興にも大きく影響したんでしょう。
イランの国を助けたのは、出光佐三氏、1人の決断であり近年までも続く功績なのだということを今一度、見直さなければいけないと思いました。
その後の、出光佐三氏について、次回も綴っていきます。
