出光佐三の生き方、ホルムズ海峡、「日章丸」出光の船が繋いだ日本とイランの深い友情~その2~

テレビ番組

前回は出光興行創業者の出光佐三氏が日田重太郎氏から多額の資金援助を受け企業したところまでを書きました。

佐三の兄弟も企業を手伝いました。

売上ゼロ

企業当初、新参者の出光の油など誰もが見向きもしませんでした。
「良いものを持っていけば売れるはずだ」と佐三は考えていましたが、営業でまわっても誰も取り合う者はおらず門前払いの毎日でした。
売上はゼロでした。

賄賂を使えば売れる。
接待をすれば良い。

などの声があがりましたが、
佐三は、頑としてそれを拒否しました。

士魂商才、武士の魂をもった商人が、そんな卑しい真似ができるか。

彼は、日田氏との約束である「自分の信じた道を貫く」ことを守り品質と技術力だけで突き進みます。
しかし、資金が底をつきかけ、自死すら脳裏をよこぎり追い詰められていきます。

開業から3年
もう後に引けないところまできていた時
起死回生が転機が訪れました。

陸上の工場への販売が上手くいかないなら、
視点を変えよう。
「海」だ。

佐三が目をつけたのは、「海」でした。

当時、動力化が進みはじめ、門司港には多くの漁船が集まっていました。
漁船の燃料は、「灯油」や「軽油」でした。
しかし、当時の石油業界には縄張りがありました。

陸上には、日本石油の既存の特約店が立ち並び、
新参者の出光が入りこむ余地はありません。

店を構えている下関などで商売をすれば、商権侵害だと猛抗議をうけます。

そこで、佐三は奇策を思いつきます。

陸に縄張りはあるが、海の上に境界線はないはずだ。

佐三は、小型船に油をつぎ込み、海上で操業中の漁船に近づいて、給油販売を行ったのです。
漁師たちにとって、わざわざ港に帰らずとも海の上で燃料補給できるのは願ってもないことでした。

しかも、当時倉庫で厄介者扱いになっていた「軽油」でした。
灯油よりも安く馬力がでる軽油をすすめる佐三に漁師たちは飛びつきました。

出光の船が近づくと、海上のあちこちから手が降られ飛ぶように油が売れました。

しかし、同業者たちは激怒しました。

出光はルール破りだあいつらは海の上で商売をしている。
既存の権益を荒らす出光のことを

「海賊」と呼ばれます。蔑称としての呼び名でした。
しかし、佐三はむしろそれを誇りに思いました。

われわれは「海賊」で結構。
法を破っているわけではない。
消費者のために、安くていい油を届けているだけだ。
海の上に境界線をひけるならひいてみろ。

この常識外れの商法は、
「海賊商法」と呼ばれました。

この海賊商法で出光興行はようやく息を吹き返したのです。

まとめ

第2章 如何でしたでしょうか。

船上での軽油販売という奇策をもって一気に既存の権益を蹴散らかしました。そこには、従業員を解雇せずに家族として大切にしていく。また、士魂商才を貫くという決して他では真似できない経営判断です。

次回も出光佐三氏の物語が続きます。お楽しみに。