平安時代 香川県善通寺市生まれ
本名『佐伯 眞魚さえきのまお』
19歳のときに仏門にはいり、『空海』と名乗る
諡号しごうは、『弘法大師』
エピソード
死ぬわけない
小さい頃から「人を救いたい」と思っていた。本当かどうか定かでないが、崖からわざと落ちた。
「自身が必要であらば、今、死ぬわけがない」そう思ってのことだった。
神童と呼ばれ
学問を学んでいたが、当時は出世のための学問であった。そのため、仏門に入ることを考えはじめ、出家するにあたり親を説得するために、仏教の何が素晴らしいのかというレポートを作成した。

『三教指帰』・・・儒教・道教・仏教の教えのうちどれが一番優れているのかを書き、仏教が一番優れているということを書いた空海の著書である。
仏教じゃなくて密教が良いと夢ででてくる
密教は、海外から伝えられていたが、断片的であり全容も枠組みも分類されていなかった。その為、自身が留学をし体系化することを夢に抱く。

唐に学びに行くため、遣唐使に立候補する。『最澄』というエリート僧侶が天皇家のバックアップで唐行きが決まっていた。
それに対して、空海が唐に行くのも自腹であった。4隻の船で向かい、2隻は遭難。最澄と空海の船だけがたどり着いた。
当初予定していた到着地ではないところに着いた為、犯罪者扱いをされた。
しかし、唐の言葉が話せ、漢文も完璧にマスターしており誤解はすぐに解けた。
正式に密教を学ぶことになる。
当時の遣唐使にはルールがあった。20年という歳月をかけ学ぶこととされていた。帰国を許されない制度であった。
空海は、唐の密教に入って2年ほどで『阿闍梨あじゃり』という最も偉い僧侶に見いだされ、全てを継承する。数か月で密教の正統後継者になった。入って2年でサンスクリット語(インドの言葉)もマスターしていた。
2年で日本に帰国した。
真言宗・真言密教の開祖となり、教育にも力をいれた
高野山の金剛峯寺の建立、土木事業への貢献も
最終的には、高野山の中で永遠の瞑想、入定され今も生きている
なぜ、こんなに賢かったのか
家系ではないかと言われています。
父方・・・修験者(日本中の情報をまとめていて海のルートを通った情報が入ってくる、忍者的な役割もあった)土着の情報からグローバルな情報も持っていたのではないかと言われている
母方・・・伯父に『阿刀大足あとのおおたり』、という人がいて当時の天皇家子息の教育している優秀な先生であった。母の名前が『玉依御前たまよりごぜん』
空海が生まれた理由として、母が、夢の中で天竺インドのお坊さんが懐の中に入ってきて、空海を生んだという逸話がある。
曼荼羅について

『胎蔵界曼荼羅』

『金剛界曼荼羅』
この2つを統合し立体曼荼羅を空海がつくった
大日如来を宇宙として考え、その周囲に仏様を配置した。円になっており渦になっている。
密教とは 言語化できない真理を体現をもって教える
曼荼羅自体が、宇宙の真理を言語化できないものを何とか形で現したもの
『胎蔵界曼荼羅』・・・女性の胎内を表している、母親のように見守る
『金剛界曼荼羅』・・・ダイヤモンドのように固いこと、完全に完成された知恵、偉大なる知恵
唐では別のものだと考えられていたが
空海は、この両方が陰と陽であり両方があって1つだと統合した
当時、3国の融合した文化などが空海が生み出した『密教』になるのではないか。
唐・・・国内で様々な国の統合や文化の統合で成り立った仏教
日本・・・八百神
天竺インド・・・森羅万象に神々がいる
熊野三社の巻物に、昔の日本に天竺から王族が住み着くというものがある。
伊豆のほうの神社に、『三宅記』という書物が残っている。そこにも、インドの王子が日本に来て住んでいったと書いてある。2600年前の弥生時代のあたりから日本とインドの距離が交流があったのではないかと推察できるのではないか。
