日本が海外に誇れる偉人とされる
出光興産の創業者 出光佐三(いでみつさぞう)さんの人生を描いている

今から73年前
1953年 戦後から7年が過ぎていた
出光は、海外バイヤーを通さず、直接石油を仕入れるべく
借金をして船を造った。
積載重量 1万8000トンのタンカーを造った。
そこには、イランの石油を巡る熾烈な争いがあった
イランは自国からの石油を、欧米を通さずに直接輸入できるようにするため
独立国として石油の国有化をはかった。
しかし、
イギリスが輸出させまいと、ペルシャ湾に艦隊を派遣して封鎖する。
こうして、イランの石油は輸出できない状況となる。
イランは国の危機として、各国に石油を輸出させて欲しいと要請をする。
もちろん、日本の各石油会社にも要請をだしていた。
イギリスは戦勝国なので、各国、各会社が手をだせずにいた。
そこに、イギリスのやり方に怒りを覚えた、出光興産の創業者、出光佐三さんが3月に極秘裏にイランに「日章丸」をおくっていた。
日章丸がイランに着くと、イラン国民が大歓迎をおこなった。どの国もどの企業も助けてくれなかったが、唯一助けてくれたのが、日本の出光興産だったというわけである。
イラン国内は、干上がる寸前のところで助かった。
その後、日章丸はイギリスの包囲網をかいくぐり、5月に川崎港に帰還した。
ところが、イギリスのアングロ・イラニアン社は、積み荷の所有権を主張して東京地裁に裁判をおこした。
日章丸の積み荷を差し押さえしろといってきた。
裁判中、
出光佐三氏は「この問題は国際紛争をおこしておりますが、
私としては、日本国民の1人として、
俯仰天地に恥じない行動をもって終始することを裁判長に
お誓い致します。
イランの石油はイラン国民のものイギリスが不当に独占する権利はない」
と主張しました。
世論は圧倒的に出光を支持しました。
一審
東京地方裁判所 裁判長 北村良一氏
裁判所は、
イランの石油国有化法によってアングロ・イラニアン社AIOCはすでに権利を喪失しており、
積荷の所有権を主張できないと判断しました。
「この石油はイランから正当に買ったものであり、差し押さえられるものではない」とした。
二審 差し押さえの訴えを退けた。
このような、素晴らしい歴史が今日の日本を支えているのだということを日本人皆が理解しなければいけないと思う。
日本人と、イランの国民を救った出光佐三さん、裁判長の北村氏をはじめ、私利私欲がいかに馬鹿げていて、他利主義にならなければいけないかを改めて考えさせられる一件ですね。
戦後の混乱時、国として確立できずにいた中、即座に行動した出光さんや、東日本大震災のときの現場の判断で国民の安全を第一に考え行動されていた当時の福島第一原子力発電所所長である吉田昌郎(よしだ まさお)氏をみて、国民一人一人のために動いた方々には敬服するばかりです。
