幼少期から眼病を患う
強度の近眼、乱視に加え角膜炎を併発していた。
本を読むことさえもできずにいた。

では、どうしていたかというと
耳で聴き、何度も頭の中で反芻し、徹底的に自分の頭で考え抜く力を身につけていきました。
知識を詰め込むのではなく、物事の本質を思考する習慣が身についていたのです。
ここで、彼にとって重要な人物と関わります。

①校長の水島銕也・・・「士魂商才」を教えた
“武士の魂をもって商売を行え”と説きました。
利益のみを追求するのではなく、国のため、人の為に商売をする。②商業概論を教える内池廉吉教授
“商人は生産者と消費者の間に介在し、商品を右から左に流して利ざやを稼ぐだけの存在であってはならない
生産者と消費者を直結し、社会全体の利益を考えるのが真の商人である
金儲けを目標にしてはならない、金の奴隷になるな”
佐三はこのとき、
心に誓いました。
「自分は単なる金儲けの道具にはならない。黄金の奴隷には決してならない。」
従業員わずか3名の「酒井商会」への丁稚奉公でした。周囲は、三井や三菱、大手の銀行に勤めるものばかりで、皆がバカにしました。
「石炭の時代は終わり、石油の時代がくる」 と卒業論文で書いていたように将来を見据え、一から商売がわかるところに就職したのでした。
小麦粉と機械油を扱う店で、朝から晩まで配達から集金まで泥まみれになって働きました。
「大組織の歯車になっては商売の全貌はみえない。小さくても一から十まで自分でやれる場所でなければ真の商才は磨かれない」
1911年25歳の時に独立をする。
福岡県の門司で出光商会を立ち上げる。
当時、商売性を見込んでいた石油の販売をはじめましたが出鼻をくじかれます。
実家の藍問屋が倒産してしまいました。
生活も立ち行かなくなって途方に暮れていた時に、手を差し伸べてくれたのが
日田重太郎氏でした。淡路島の資産家の息子で、佐三が学生時代に彼の子息の勉強の面倒を見ておりその縁でした。
佐三の窮状を知った日田は、佐三を呼び出します。
「君に独立資金を出そう。」そう言って提示された額は、6000円(現在の8000万~1億円)
ただし、条件が三つある。
一つ、従業員を身内だと思い、仲良くやること
二つ、自分の信じた道を貫きとおすこと
三つ、私が金をだしたことは、誰にも言わないこと」
担保なし、契約書なし、ただ、佐三という人物を信じて、別荘を売却してまで巨額の資金を用意してくれました。
佐三は、深く心に刻みました。
「この恩に報いるためにも、自分は絶対に失敗できない。日田さんとの約束通り、
社員を家族として経営をするのだ」
これがのちに出光興産の代名詞となる
「大家族主義」となる。
出光興産の創業者、出光佐三氏の開業までを紹介しました。
人の恩、自身の信念、社員との固い絆、
自身や会社だけのことではなく、国の為、他者の為に生きるための礎が垣間見えた半生でした。
次回は、その後の出光興産が世界を率いる大企業となったエピソードを紹介していきたいと思います。
日章丸事件の後も、苦難は続きます。
